“我孙子”市的来历四种说法之完整版:
我孫子という地名は非常に珍しく、文献上では正和2年(西暦1313年)の九州の三池文書の中に「しもうさのくにあひこのむら」という記述が出てきます。これが我孫子市の「アヒコ」を示すことから、地名が存在していたことが確実になりました。
我孙子这样的地名是非常稀少的。正和2年(1313年)九州的三池文书中有“下总国‘Abiko’ 村”这样的提法。这是Abiko这个地名首次在文献中出现,可以确认至少当时已有这个地名了。
地名の由来については市で調査を進めていますが、現在のところ語源として次の四つが考えられています。
关于地名由来,研究者在本市内进行了调查,现有四种说法。
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一つは、古代の氏(ウジ)や姓(カバネ) にちなむとする説で、大和朝廷の古い時期の官職として「古事記」等に出てくる「阿毘古」があります。この阿毘古は、大王(オオキミ)に魚や鳥などの食糧を貢進する氏族でした。中央の氏族は地方に領民をもっていたことから、それらの土地には各氏族の名がつけられ、それが後世にまで残ることになります。県内にもある蘇我とか葛城などはそのような地名ではないでしょうか。
说法一,由古代的氏(Waji)和姓(Kabane)由来。《古事记》等书中记录了作为古大和国朝廷的官职名的“阿毕古”。“阿毕古”曾是为大君(Ookimi)进贡鱼禽和粮食的氏族。中央的氏族到了被封以某地的人民,从而此地也以各氏族命名,并流传至后世。同(千叶)县内的“苏我”和“葛城”可能也是同样的氏族地名。
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二つめは、網曳(あびき)が転じたとする説で、網曳はもと宮内省(ミヤノウチノツカサ)の大膳職に属する雑供戸で、海産の魚貝を貢進する品部でした。もしかすると、常陸川(現在の利根川)の鮭を網で捕ったりする「網引」や手賀沼の水鳥を網で獲ったりする「網子」など、地元の食産物を貢進していた集団(広義の「饗彦」)が住んでいたのかもしれません。
说法二,由“网曳(abiki)”转音而来。网曳是以前从属于宫内省大膳职的供应户,负责进贡海产和鱼类贝类。又或者,当地曾经居住着在常陆川中网鲑鱼的“网引”族和在手贺沼中网捕水鸟的“网子”族,他们也是负责向宫廷进贡当地产物的团体。
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三つめは、地形に根拠を求める説で、アバ(くずれた)・コ(処)が転じた崩壊地形を示す地名やアミ(網)・バ(場)の略で漁場を示す地名が考えられます。
说法三,根据地形而来。“Aba” (崩塌)+“Ko”(处)表示崩坏的地形;“Ami”(网)+“Ba”(场)为“渔场”的略写。(我在回复桔梗君的《日本难读地名》贴中曾经采信这一说法)
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四つめは、外国語由来説でインドシナのチャム語のアビ(火)クク(神)やヘブライ語のAbik (我らの先祖たち)があります。またアイヌ語では、ap-Kotan(釣針-村)やapkot-ni(釣-竿)があり漁業に関する地名と関係しています。
说法四,外语由来说。印度支那的占族有“Abi”(火)和“Kuku”(神)的说法;希伯来语中有“Abik”(吾等之祖)的说法。阿依努人中也有ap-Kotan(釣針-村)やapkot-ni(釣-竿)这样和渔业有关的词汇。
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有翻译不当之处,望指正,谢谢。