「市郡の區域稱呼其所在地並街庄の稱呼等に就て」
州廳課長 水越幸一
『臺灣時報』大正九年十月號
(上)市郡に就て
新制度に依つて生ぜる市郡の數は三市四十七郡、街庄の數は二百六十三で、外に臺東、花蓮港の二廳を存置し、其の下に六支廳を置き街庄の外十八區に分つたが、以下此行政區劃中、先づ市と郡の設定より多少の辯を試みやう。
市は先づ、臺北、臺中、臺南の三都、に實施したが、之れ必ずしも其他の州廳所在地、即ち新竹及び高雄の如き又基隆嘉義の如き如上の三市又は內地の小都市に比して必しも著しき差異を認めない。然し其間尚ほ若干の準備年月を置き、先づ三市の實驗の後を逐ひ、徐ろに市制を布くも未だ遲しと云ふべからずと考へ、先づ以上の三都を先にしたると考へられる。內地に在つても現に千葉縣廳所在地千葉、宮崎縣廳所在地宮崎の如きは未だ市制を布かぬ例もあり、大分等近かく市に進んだ例もあり。こゝに先づ此等三市を認め、他は此の先蹤に從ひ相次で市制實施の機運を見るべき事と、期待する次第である。
郡設定の綱領は大要以下の數項を原則としたるものである。
即ち蕃地のみの郡を置かず、蕃地は必ず平地と併せ一郡を成すを以て根本原則とした。
此原則が、郡の面積、人口等種々の方面に影響を及ぼした。斯る方針を執れる所以は、蕃地のみの郡を設くるに於ては、平地郡との間に自ら差別的城壁を生ずることゝなり、此方は蕃地なりとて官吏の氣分にも或は弛緩を生ぜざるなきを保せず隨つて開發の上にも影響する所大なるべく、平地に之れを併合するに於て始めて兩者の懸隔を接近せしめ、平と蕃と兩々相攜へて事に當るの平和的良風を釀成するの因となる。即ち蕃地の開發が要とする人夫の派遣も、蕃民日常の需用品の供給も、自ら圓滿に取扱ひ得るの便宜を生ずる。斯る郡に於ける郡役所の所在地は云ふ迄もなく平地となし、蕃地には理蕃の必要上、往々別に警官派出所を置き、處に依りては警視を配置することゝした。而して全島中の
最大郡は高雄州の屏東郡面積百十八方里
最小郡は同州の澎湖郡面積 七方里
而して郡の平均面積は三十六方里で內地一郡の二十九方里より大なること七方里となる。
各郡の區域や稱呼等に就いては後項更に詳說すべきも、差當り屏東郡が百十八方里といふ大面積を包容するに至れる所以を辯ずるに、平地に於ては屏東街外六庄に過ぎざるも、上述蕃地併合の原則から之れを包容することは甚だ多く、蕃社の數は實に三十六社の多數に及ぶが為めで、其郡衙所在地は舊名阿緱なる屏東、即ち郡の極南の一隅なれば或は此方六龜(舊六龜里)を分離して一郡を形成してはとの見解も之れなきにあらざるも、斯くては未だ到底自立の力なく、依つては今後蕃地の開發を待つことゝし、暫らく此大面積を擁して益々餘力を蓄積し、後日の準備を為さんとするものに他ならぬ。
尚此等に附言すべきは蕃社ライフンロクは元と阿緱廳下なりしが故に今度の改正には屏東郡管內たるべきものだが、此處の蕃族は境を越へたる臺東廳下なる鄰蕃と同族で、中央山脈の地勢の關係から云ふも寧ろ臺東に屬せしむるを以て適當とするが故に、此機に於て高雄州から除去して、新に臺東廳に屬せしむることゝした一事である。此種の例は新竹廳にもあるが是亦後項に讓ることゝしやう。澎湖郡の最小なる次第は別に說明を要すまい。
人口最も多きは臺南州嘉義郡-十五萬二千餘人
最も少きは臺北州蘇澳郡-一萬三千餘人
全郡を通じたる平均は七萬人で、內地一郡の平均六萬九千に對し、略々均衡を保つもの。
嘉義郡の人口大をなす所以は、郡の面積も大なる上に平地の部分が屏東、能高、新高の諸郡に比し比較的多いためで、又其面積の大なるは畢竟阿里山鐵道と、後年の市候補地たる嘉義街とを包容するが為めに他ならぬ。
若し阿里山鐵道を兩郡の管轄に分離する如きことあつては、其管理上頗る困難で、萬事が甚だ不便となるのみならず、嘉義は將來の市候補地として、必ず郡から分立される時代が來るべきか、然らば嘉義を除去された後の力は、一郡として立ち得るの餘力ありや否や、此點も豫め念頭とせねばならぬ。即ち竹頭崎方面を割いて一郡となし得るの餘力もないから、此一大郡となつて人口の最も多きを示す所以である。
臺北州蘇澳郡の人口一萬三千で、最も少き所以は、同地は元と羅東支廳下で、現に新制でも羅東郡を置いたが、平地に蕃界を合するの原則から、南方の蕃界をも之に併合するとせば、地域も廣過ぎすのみならず、郡衙の所在が此方に偏することゝなる。乃で是亦支廳所在地たる叭哩沙を三星と改め羅東郡に編入して蘇澳を分立し、若干の平地と共に蕃地を包容して開發に便ならしめんとした結果に他ならぬ。
一 畢竟、郡の大小は、歷史、地理、交通、產業、人口、民族等の關係を考慮した為めで、其地域の廣大なるものに至つては、例へば上述嘉義の場合の如く、郡役所々在地が他日市として獨立する場合の餘力をも考慮した為めのものもある。(詳細郡別說明參照)
二 郡名には其地方の舊堡名、土名、若しくは其地域內に存する山河名を秉つて名付けたが、其等の名稱や郡衙の所在地が、稱呼字畫の複雜なるものは、適宜之れを變更又は省略した。(同右)
三 郡役所の位置は成るべく在來の支廳所在地の一を擇ぶを以て原則としたが、地域の狀況や、交通關係や、在來の支廳相互間の關係や、將來の趨勢等に鑑みて、是迄の支廳所在地以外にも新に郡役所を設けたところもある。七星(臺北)、大屯(臺中)、新豐(臺南)、竹南(新竹)、虎尾(臺南)、新營(臺南)、蘇澳(臺北)、等は其例である。次第は、是亦漸次後項に說明しやう。
四 當然郡役所を設けらるべき實力を有する街庄でも、其直ぐ附近に更に便宜な大都邑がある為めに其選に漏れたものもある。臺中州下彰化郡の鹿港の如きは其好適例で、若し彰化が附近に無かつたら、無論郡衙を設置せらるべきところである。
五 一郡內實力の伯仲する街庄が互立する場合は、郡所在地を止むを得ず甲の街庄に決したとせば、郡名を乙の街名庄から採り、以て民心融和の方法とした。例へば臺北州廳下三峽(舊三角湧)と板橋(舊枋橋)の場合に、郡名は舊三角湧の堡名なる海山を用ひ、郡衙所在地を板橋とし、臺南州の東石郡では、郡名を東石港に採つて郡衙を朴子(舊樸仔腳)に置いた類である。
六 市に郡を置いた理由は、市附近の村落は內地でも同じことで、市を中心とし生命として存在する。故に何角に市に對して便利を有するからで、現に福井市の如きは、附近二三郡の郡衙所在地となつて居る。臺北市の七星郡役所、臺中市の大屯郡役所臺南の新豐郡役所も亦之れが為めに他ならぬ。
七 市に郡衙を置いた場合は、郡名は市名と異にしたが、嘉義、基隆等の市候補地が、將來市制を布く場合には、是亦市名と郡名とを異にする必要がある。此場合には市名を換へずに郡名を換ふるを以て原則とし度い。
以下各郡に涉つて特殊の說明を要するものゝ為めに、個別に多少の辨を試みやう。
一、臺北州
●七星郡(郡所在地、臺北市) 汐止(水返腳)、士林、北投、松山(錫口)等の名邑を包括する同郡は、其名稱を臺北市郊の名所たる圓山に因んで圓山郡と稱せんかとの議もなつたが、今回大臺北市の實施と共に、臺灣神社境內より明治橋以南を凡て臺北市に編入することゝなつたので、それも妥當ならず、依つて郡內の名山たる七星山に因んで決したる次第である。
郡衙所在地に就いては、汐止、士林、松山の三邑鼎立して互に相遜らざるものあるが然し此等の都邑も凡て臺北市を中心として居るから內地の多くの例により萬事の便宜上、寧ろ臺北を以て之れが所在地と決定するが、相互の得策なるべきを思うてゞある。
●羅東郡(郡所在地、羅東) 蕃地開發と東臺灣の小港邑たる蘇澳自體の發展とを念して、舊羅東支廳下の蘇澳を割いて同名の郡衙の所在地としたことは上述の如くだが、殘餘の舊羅東支廳下と、舊叭哩沙(新名、三星)支廳下とに若干の蕃地をも含ませ羅東郡を設定した。郡所在地を羅東街としたのは、鐵道線路にも當り、萬事の便宜からである。
●蘇澳郡(郡所在地、蘇澳) 說明前出
●文山郡(郡所在地、新店) 郡內には、新店、深坑、坪林(舊坪林尾)等の元支廳所在地たる名邑鼎立して居るが、就中新店は臺北に近かく、而已ならず蕃社開發上最も便宜たるを以て、郡所在地と決定した、文山とは新郡に通ぜる重なる堡名なるを以て、採つて郡名となしたるもの。
●海山郡(郡所在地、板橋) 板橋(舊枋橋)と三峽(舊三角湧)との二名邑を包める同郡は、郡所在地を板橋としたが是亦地の利を得たるものである。枋は板の略字なれば、枋橋を變じて最も見易き板橋とした次第である。
●新莊郡(郡所在地、新莊) 新莊(舊新庄)街を中心とせるもの。新庄の庄字は、往々街庄の庄と混亂し易きを以て、莊字を以て換ふることゝした。
二、新竹州
●大溪郡(郡所在地、大溪) 大溪の一街と龍潭の一庄とに數多の蕃地の蕃社を編入して一郡とせるは、是亦蕃地開發の為め平地の一部を加へたるものである。舊大嵙崁を改めて大溪となし、更に之れを郡名となせるは、地勢に由つて命したるに過ぎぬ。
●竹南郡(郡所在地、竹南) 郡所在地は全然新なる場所である。之は將來海岸線の分岐點で地方の重要なる交通上の中心となることを豫想し設けたもので、其の郡名は堡名を採つたものである。
●大湖郡(郡所在地、大湖庄) 元支廳所在地大湖を以て郡所在地となし、同時に郡名としたものだが、地勢上から察するに大安溪を以て郡界とするのは適當でなく、寧ろ更に東方の、峻嶺屏立して自然の障壁を為す分水嶺を以て境界とすべきである。即ち舊來の支廳の境界線を一層擴げて、舊臺中廳管內の小雪山、大雪山、シルビヤの諸峰に迫つた所以である。
三、臺中州
●大屯郡(郡所在地、臺中市) 墩字を屯と換へ、庄名に因んで命名した郡名だが、郡衙の所在地を臺中市とした所以は、前述の如く附近の土地は市に最密接の關係を有することゝ管內特に郡所在內として擢用すべき都邑が無いことからである。
●豐原郡(郡所在地、豐原街) 舊葫蘆墩を中心とした一郡を置いた同地方は所謂コロトン米を以て知らるゝ米產地なるを以て、其吉祥に因んで葫蘆墩を豐原と改め、更に郡名としたのである。
●東勢郡(郡所在地、東勢) 東勢角を東勢と改稱し、多くの蕃社を加へて同名の一郡となし、蕃社の開發に便とした。
●大甲郡(郡所在地、清水) 大甲、牛罵頭、沙轆等の名邑を藏する同郡は、牛罵頭が中間に位して最も繁榮の土地だが、其稱呼は甚だ卑俗たるを以て、島內でも最も清水の湧く處だから、之れを清水と改め、茲に郡衙を設け、郡名は大甲溪大甲帽大甲庄等、名の賣れた大甲の名稱をとつたのである。
●能高郡(郡所在地、埔里街) 元南投廳下の埔里社を埔里街と改め、霧社支廳一帶の蕃地を編入して能高郡を設定した。面積から云へば屏東郡に並んでの大郡である。其の名は能高山が其の區域內に在るのに因んだのである。
●新高郡(郡所在地、集々庄) 集々と魚池とに、臺灣アルプスとも云ふべき一萬尺餘の連山を包容する蕃地を編入せるものを新高郡とした。郡衙は集々庄に之れを置く。現時完成に近かき八通關越は花蓮港廳玉里に通ずる。蕃界橫斷道路は道を集々より、陳有蘭溪に沿ふものにして恰かも新高登山左土右反路に當り又東京帝國大學の農學部に於て、新高山への實習には路を之れに取り途中溫泉場の適地あり將來益々有望の街道筋となるであろう。日本の最高山たる新高山の一部は其區域內に跨つて居るので、之に因んで命名したのである。靜岡縣の富士郡と富士山の關係の如きものである。
●竹山郡(郡所在、竹山庄) 元南投廳下、林圮埔を竹山庄と改め、竹山郡を設定した。此新稱は、地方一帶が臺灣中でも豐富に良い竹を產することに因んだものである。
四、臺南州
●新豐郡(郡所在、臺南市) 其郡衙を臺南市に置いたのは、是亦臺北の七星、臺中の大屯の場合と同じ。新豐の名は舊堡名である。
●虎尾郡(郡所在地、虎尾庄) 虎尾溪の貫流する所なるを以て此名を生じた。郡衙所在地に就ては西螺と土庫と五間厝と三候補地があつたが交通關係其他より、五間厝を以て適當と認め、虎尾と改稱せられた。
●嘉義郡(郡所在地、嘉義街) 前述の通りである。
●新營郡(郡所在、新營庄) 西方には著名なる鹽水港あり、東方には名邑店仔口(新名白河)がある。新營庄を以て郡所在地としたのは、交通上の理由に基くものがある。畢竟此地方の交通機關は西方から中央の鐵道幹線に向つて開かれて居るので、若し鹽水港を郡衙所在地とするに於ては、幹線の東方なる店仔口方面からは、一旦後壁上艸下寮(新名後壁)へ出て新營庄で下車し、更に西方に向はねばならぬ。さらばとて店仔口を以て之れに代ふれば是亦同樣の不便に陷る。故に新營庄を以て郡衙所在地に充て、郡名を之れに取つた次第である。
●東石郡(郡所在地、朴子街) 郡內には東石港と樸仔腳(新名朴子街)とを有して、何れも互角の地位を保つが、後者は中部の便宜の位置にあれば、之れを朴子と簡略し、東石を以て郡名となせるもの。
●北門郡(郡所在地、佳里庄) 北門郡も亦以上の類で、北門嶼から郡名を採り、蕭壟を堡名に因つて佳里と改め、郡衙所在地とした。
●新化郡(郡所在地、新化街) 西北隅には灣裡(新名善化)、東北隅に近く左口右焦吧哖(新名玉井)、南方には大目降(新名新化)を有する同郡の郡役所々在地を舊大目降、即ち新名の新化に擇んだのは、同地の尤も大にして地勢上にも適當と認めたからである。
五、高雄州
●高雄郡(郡所在地、高雄街) 舊名打狗を高雄に變へ、之れを中心として一郡をなせるもの。文字を高雄となし、州名にも適用するに至れる次第は、街庄の名稱變換を說明する所に讓る。
●旗山郡(郡所在地、旗山街) 舊蕃薯上艸下寮を旗山と改稱し、此處に郡衙を設け、屏東郡と共に蕃地の一部を併せて、一郡を形成す。旗山と改稱したるは、蕃薯上艸下寮を飾る秀麗なる巒峰の名稱に因めるもの。
●屏東郡(郡所在地、屏東街) 說明前出
六、臺東及花蓮港廳
六支廳十八區(外に二街一庄)を有する此二廳下には特に記する程のものもないが唯臺東廳下の北東海岸一帶に涉る新港支廳は、舊上艸下麻荖漏社が、花蓮港や臺東に船の寄泊し得ぬ時でも繫留し得らるゝを以て、之れを新港と改稱し、將來の發展を期し、支廳名とされた。
又巴塱衛太麻里兩支廳は合併して大武支廳と改稱し、巴塱衛も大武と改めた。之は大武山から取つた名稱である。
又花蓮港廳下の研海支廳とは新城支廳と內タロコの蕃地を包括し、前年佐久間總督時代の大討伐と深き關係を有するところから、故總督の紀念として其雅號研海を秉つて用ひたのだが、適々此地方海岸の地勢は、巖壁崔嵬削れるが如く海に逼つて、研海といふの地勢上からも頗る適切なものがあるは好因緣である。
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