("日本帝國"自己)郡制の廃止
1 .郡制の実施
明治11年12月20日、「郡区町村編制法」が施行され、行政区としての郡が置かれた。愛知県下では一区(名古屋区)と尾張に八郡、三河に十郡が設けられ、各郡には郡役所が設置される。
郡役所は独自の郡行政を行ったほか、国や県の指示を町村に伝えるなど地方行政官庁としての役割を果たすと共に、町村の監督を行う。
明治23年5月法律第36号をもって郡制が公布され、郡は単なる行政区から自治体へと変わる。
1 .郡制の廃止
大正10年4月12日法律第63号で郡制廃止に関する法律が公布され、大正12年3月31日をもって郡制は廃止される
大正15年6月改正地方官制が公布され、郡長が廃止されるに伴い、郡役所も廃庁となる。
この結果、「郡」は行政区画としてその名称を残すにとどまり、自治公共団体としての資格を喪うに至る。
以上是日本,"內地"的郡的廢止,結果,同樣在大正9年,卻在台灣實施了郡制度,並透過郡警察課,加強對台灣的管控。